Kとの出逢い〜別離れ


離婚後、勤めていたスナック。初日に連れと来ていて、私は彼に対し、
3度目まで『初めまして』と言っていたらしい。
何故か気に入られ、でも私は彼より9才も年上で、
パニックディスオーダーもあり、X1で、子供あり。
かなり、アタックされた様に思う。

2001年8月20日
私の状態を全部話して、『それでもいいなら・・・』と言ったら、
『それでもいい』と言ってくれた。

初めは通いで、そのうち同棲。
あちこち遊びに行ったり、旅行行ったり、とても楽しい時を過ごした。

この間に、子供が少年院。三重県へ。
奇妙な関係もあった。私と彼。元ダンナとその彼女との一緒の行動。

きっと、PDに関しても、多重人格に関しても、一生懸命
理解してくれようと、していたように思う。
1つ問題。子供が、彼の妹に、胸をさわる行為。その事で、
お義母さんには否認。実際のところ彼もどう思っていたのか。

そのうち、金銭面で厳しくなってきて、彼が銀行やサラ金から工面してくれた。
それに関して、『しんどい』という言葉を聞くようになり、態度や顔にも出ていた。
PDに関しても、私がいつまでも、マイナス思考だという事で、
終わりに・・・。
2004年3月17日

きっと、最初から分かっていたのかも知れない。
私にはリスクが多すぎたから。
あわい期待を抱きながら、でも、彼は若い。これからだ。
彼にとって、この2年7ヶ月が、どういうものだったか、私には分からない。

私の状態に関しても、頭の中で分かっているのか、いないのか?
でも実際、一緒に暮らして、目の当たりにするって事は、
頭の中で考え、思っている事とは違うはず。
はずじゃなく、違う事は明らか。
金銭面、子供の事、私の病気の事、自分の両親の事、
同棲の状態は、彼にとって、背負うにはかなり重た過ぎたのだろう、と思う。

2003年9月
彼の子供を、自然流産してしまった事がある。
小さな小さな命の元を、私のこの身体は、守ってやる事が出来なかった。
19才の時に妊娠し、20才で出産。以降、不妊。
17年目にしての、つかの間の妊娠。
生理がおかしくて、病院に行った時はすでに、自然流産した後だった。

彼との終わりが決まった後も、13日間程、彼はいてくれた。
荷物のまとめもあったんだろうし・・・
きりの良い、3月が終わるまで、と・・・かな。

3月17日に終わろうと決め、19日に突然右顔面マヒ。うつ状態。
恋人としては終わったけど、今後も彼は、良い友達として、
居てくれると言ってくれた。
それは、私が頼んだ事だった。
彼はOKしてくれたが、はたして “それ” が彼にとって、
負担にならないだろうか・・・?
彼は、優しすぎる人だったから、私に気を遣って、
 “それ” をOKしてくれたのか?
ホントのところは、彼自身にしか分からない事だろう。
でも、私にとっては、元ダンナとの今の関係のように、
彼とも接していきたいと願う。


《彼の言葉より》
まず、自分を信じないと、誰も信じられないやろう。
Sの場合は、レイや琴や華鈴(他の人格)など、皆含めて信じないと。
自分を信じれたら、俺を信じてくれたらいい。
俺は自分自身を信じてるし、Sも信じてるよ。

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